top of page

随筆 ① 東日本大震災から10年

  • white-eagle1958
  • 2021年3月11日
  • 読了時間: 2分

2011.03.11のあの日は、私の末娘の中学卒業式の日でした。式の後、娘と写真を撮ったりお世話になった先生方に挨拶をしたりして家に帰って来ました。天気が良かったのを覚えています。その後、一休みで奥の床の間で寝ていました。

突然、下から突き上げる様な縦揺れが始まり、目を覚ましました。縦揺れが激しくなり起き上がる事も出来ないでいると、2回目の激しい縦揺れがあったような気がします。

屋根瓦が大きな音を立てて何枚も滑り落ち、土煙を上げていました。

(此れは大きい)そう思いましたが身動きも出来ませんでした。家が軋む音を聞きながら揺れが収まるのを待ちましたが、時間が過ぎるのが酷く遅く感じられました。

不思議な地震でした。縦揺れが強い割に横揺れが小さかった様な・・・

その証拠に、倒れた家具は在りませんでした。やっと動けたのは、どれ位経ったのか。

外へ出た時娘達に合う事が出来、ほっとしました。幸い外に居た時に地震に遭ったようです。被害の状況は停電の他はなく、水もガスも使えました。風呂場の外側の壁にひび割れが出来たぐらいでした。経営していた工場も無事で、夕方になって電気が回復したので、テレビを付けた途端に画面に釘付けになりました。そこには、大津波で流される家や車が映っており、激流が街や田畑を吞み込んでいく様に、只々息を呑むばかりでした。

そしてあの原発事故。次から次へと押し寄せる不安と恐怖にどうなってしまうのかと思ったものです。心に残っているのは、スーパーから商品が消え、必要な物は小さなお店屋さんで購入したことや、ガソリン給油の為に徹夜したこと、暫く商売どころではなかったことでしょうか。

あれから10年が経ちました。この間、娘たちは皆独立し家を離れ、母も亡くなり、私もまた故郷(福島県)を出て、今は別の町で一人暮らしをしています。

今思うのは、あの地震や原発事故をもう一度検証してみたいと言う事です。どうも不自然な気がしてなりません。私の勘でしかないのですが・・・

それとやはり復興が遅すぎる様に思えます。前にも書きましたが、原爆の直撃を受けた訳ではありません。広島、長崎とは違うはずです。それなのにまだ帰還困難地域があるとは・・・この地震の陰には何かある。国民に知らされていない何かが。私はそう考えています。いずれ必ず真実を。最後に、2011.03.11 私はこの日を決して忘れません。                                                  


 
 
 

最新記事

すべて表示
ショートストーリー イグノーベル賞

2025.11.30 「栄えある2025年度、イグノーベル賞の受賞者を発表致します。その方は、国防総省を戦争省と名前を変え、幾つもの戦争を止めたと勘違いをし、ノーベル平和賞の受賞資格があると思い込んでおり、世界を戸惑いと苦笑の渦に巻き込みました。 その功績により、此処に謹んでイグノーベル賞、平和賞を贈呈いたします。 その方の名は・・・」 後は良く聞こえませんでした。

 
 
 
子供達へのお話 物覚えの悪いサンタさん ⑬

2025.11.24 クリスマス前日の夜明け前、サンタさんの家は、前にも増して大忙しです。 サンタ仲間も来ていて、部屋は何処もプレゼントの山で一杯でした。 入口からは、続々とサンタ仲間が顔を見せました。 「よう、ニコラス。久しぶり」 「やあ、ペテロじゃないか。久しいな。ヨハネやルカ、パウロも来てるぞ。他にもマリアやテレサもだ」 「は~い、1年ぶりね。ペテロ」 マリアとテレサが手を振るのでした。 「

 
 
 
仮説・論説 617 人生の在り方(幸せの形)

2025.11.24 人生の在り方は人それぞれですよね?自分がどう生きるか、何を目指すのかは、まったくの自由だと思います。 栄耀栄華を目指すのか、地位、名誉を得るのか、富豪になるのか、一芸にて頂点に立つのかはその人個人が決めればいい事です。 個人の夢や理想、願いも同じだと思います。 私は今迄、何とか生きて来ましたが、これまでの経験から学んだ事は、人は自由に夢や願いの実現に励めばいい。けれどそれは、

 
 
 

コメント


購読登録フォーム

送信ありがとうございました

  • Facebook
  • Twitter
  • LinkedIn

©2020 by かもさん日記。Wix.com で作成されました。

bottom of page