仮説・論説 ㊻ 自由の考察
- white-eagle1958
- 2021年4月9日
- 読了時間: 3分
2021.04.03
人は昔から自由を求めて来ました。中でも言論の自由、表現の自由はその最たるものだと思います。ですが、一方で自由を制限したがる権力者達が居り、人々は彼らと対抗してきました。人間の歴史は、この自由を求める人々の歴史と言ってもいいかもしれませんね。
でも、その自由は何を意味しているのでしょう?そしてどこまで許されるものなのでしょう? 今回は、この自由のお話です。
我が国日本での自由の歴史は、まだ日が浅いものです。何せ明治になるまで、自由と言う言葉すらなかったのですから。フリーダムと言う言葉を訳せなかったのですね。
今では考えられない事ですが、当時の状況が想像できます。
身分制度に縛られ、職業や結婚も選べない。お上の批判でもしようものなら、文字通り首が無くなる、そんな時代です。
そんな日本に、欧米の自由の思想が入ってきた。当時の知識人の驚きと憧れが目に浮かぶようです。どんなバカ殿でもお殿様はお殿様、お仕えするのが当時の常識。しかし欧米では、そのお殿様を領民の入れ札で選べるというのだから、驚愕したでしょうね。
ですから、吉田松陰のように国の禁を犯してまでもアメリカに行こうとした。その目で実態を確かめようとしたのだと思います。
当時の日本人にとっては、自由とは夢、憧れそのものでした。
令和の現在、自由は大分拡大されています。江戸時代や昭和の初期とは比べ物にならないくらいです。ですが、根本的な所で自由はまだ十分に保証されてはいないのが現実ではないでしょうか?
この国には、未だに古い習慣が残っています。それが、地方を衰退させていると思えてなりません。
アメリカの人権宣言には、こうあります。
自由とは誰かから与えられるものではなく、人が生まれながらにして持っている権利である。それを犯すのは何人たりとも許されない。 と。
これを知った時、私は感動を覚えました。さすが自由と民主主義の国、アメリカだと。
しかしながら、今のアメリカはそうではなくなっている様です。黒人に対する扱いを見ても、この度のアジア系に対する態度を見てもです。
アメリカは建国時の崇高な精神を失った。そう思えるのが哀しい・・・
自由と放縦とは違います。やりたい放題出来るのが自由ではありません。あくまで法律の枠内の自由な訳です。自由とは法律次第とも言えますね。その自由の範囲を決めるのが、民主主義なら国民から選ばれた政治家であり、独裁国家なら独裁者が決めるのです。
どちらが自由を得られるかは言うまでもないでしょう。
尚、自由と責任はセットになっており、責任亡き自由などあってはなりません。
人は自分で自由に考え、自由に行動する権利を持っています。その結果に対して責任があるのもまた道理。その責任を他人の所為にしたり、責任回避する行為が余りにも多いのが残念です。こういった行為は大人がやる事ではありません。いつから人間は卑怯な存在になったのか・・・先祖が嘆くでしょうねえ・・・尊敬できる人間が本当に居なくなりました。昔は居たんですけどねえ・・・なんでこんな風になってしまったのか・・・
残念で堪りません。
また、自由と孤独もセットになっており、人は自由であればあるほど孤独になっていきます。従って、完全なる自由は完全なる孤独と一緒です。ですから独裁者は皆、孤独です。
一人は気楽で自由だ。でも寂しいと言う訳です。
人間とは厄介な生き物で、自由でありたい、だけど孤独で居たくもない。
だから人は、完全なる自由は欲しないのではないでしょうか?
多少面倒でも人との繋がりを持ちたい。程度の差は在るでしょうけど・・・
家族や友人との関係を大切にしたいものです。 柏子見申し候
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