仮説・論説 608 人間の段階
- white-eagle1958
- 10月25日
- 読了時間: 3分
2025.10.22
私はこのブログで、神は実在しその目的の一つに、より優れた生き物を生み出そうとしている(神のプロフィールの項参照)事を書いて来ました。
それは間違ってはいないと考えています。
そして現在、神は人間を生み出した訳です。
私達は全員神の子です。罪や過ちを犯し、幾度となく失敗や挫折を繰り返しながらもです。
私達は神の子ではありますが、まだまだ幼稚で未熟な神の子と言えるでしょう。
此処からは、私の全くの個人的見解である事を明記して置きます。
私達の始まりは、様々な動物、植物なのだろうと考えています。
だからこそ動物、植物の名残があるのでしょう。
原始人レベルにはそれが見て取れます。恐らく動物から人間に進化したばかりなのだろうと推測されます。それを踏まえますと、人間の段階には下記の事が考えられます。
・原始人 動物や植物から進化したばかりの段階
・野蛮人 他人の物を奪って生活する段階
・文明人 他人の物は奪わなくなった段階 農業、牧畜がその境となりました
文明人は更に分けられると思います
・悪人 善業より悪業が上回っている人
・善人 悪業より善業が上回っている人
・聖人 罪が少なくなった人 罪の減少が驚くべき効果を生みます
・神人 罪が殆どない人 まだ現れていませんね
聖人になると、驚くべき事が起こるようになります。
罪が無くなると、それを受けないようになるのです。
例えば
・殺人の罪が無くなると、決して殺されなくなる
・傷害の罪が無くなると、何一つケガも病気もしなくなる
・盗みの罪が無くなると、何一つ盗まれなくなる
・経済制裁の罪が無くなると、経済制裁が効かなくなる などなど
即ち罪が無くなれば無くなる程、ダメージを気にしなくて済むのです。
これは凄い事なのではないでしょうか?
私は随分と気楽に成って居ます。色々攻められてはいますが、気にならなくなっています。
ポイントは自分の罪がどれ位残っているかを掴んでおく、と言う事なのです。(前世を含めて)
罪を犯さず、教えを守って徳を積んで行くとどうなるのか?
罪と罰はイコール、罪より大きい罰は決して来ませんから、(自然の法則がそれを保証します)自分が受けるダメージをどんどん小さくできるのです。
遂には或る罪が無くなると、それが起こらなくなるのです。(例、殺人の罪が無くなると、殺されなくなる)
そして聖人の行き着く所が、神人なのでしょう。
神人になるとどうなるのかは、現在の所不明ですが、此れだけは言えます。
神人には悪い事など何一つ起こらないだろうと・・・
私もそれを目指して修行中です。忍耐の道ですが、楽しい道でもあります。
今後も新しい発見がある度に、皆さんにお伝えします。
畏み申し候
コメント