仮説・論説 603 私達は何者であるのか?
- white-eagle1958
- 10月14日
- 読了時間: 3分
2025.10.14
私達は何者であるのか?そして何処から来て、何処へ行こうとしているのか?
この命題は古くから在り、多くの人々が(多くは哲学者)考え続けて来ました。
その一つの答えが、神智学(アリス・ベイリー著、神智学大要、たま出版)に在ります。
神智学とは何か?
巷間色々取りざたされていますが、私は彼女の著作の前文にある「神が持ち給う知識で在り、全人類が共有すべき知識である」と言うのが、一番しっくりくると考えています。
それに拠れば、私達は「神の子」です。
いい加減な事言うなって?
人はそんな存在じゃない。人は罪深い存在だ。神の子なんて存在ではない。
と言う方も多いと思います。
しかしそれでも人は神の子なのです。但しまだまだ未熟で、失敗や挫折や過ちを犯してしまうまだまだ幼稚な神の子なのです。
その根拠は聖書の創世記にあります。
「私は始めであり、終わりである」
此の文は一体何を意味しているのか?
思うに神は循環していると言う事でしょうか・・・
何が?
神の生命ではないでしょうか?
神はまず世界を創り給うた。
どうやって?
「光あれ」
即ち高温、高密度の超微粒子がある時拡散した。すると高温の水蒸気を思い浮かべて欲しいのですが、高温の水蒸気が冷えて、水になりますよね?
更に冷えて行くと、氷になります。これで気体、液体、固体が誕生する訳です。
神はこの様にして世界を形作ったと考えられます。
私はこれを天地創造の過程、仏教的には空から色への過程、科学的にはエントロピー拡散の過程と呼んでいます。
天地創造の過程が一段落すると、次に神は生命進化の過程、色から空への過程、エントロピー収縮の過程を始められたのだと思います。
科学者ならご存じでしょうが、この世界には、エントロピー拡散現象とエントロピー収縮現象とが同時に存在して居ますよね?
つまり神はエントロピー拡大によって物質世界を維持し、エントロピー収縮によって進化を進めているとも言えるでしょう。
私達は神からスタートした遠大なマラソンの途中に在り、現在折り返し地点を少し過ぎた所に位置していると思われます。そして長い時間の果てに辿り着くゴールには神が待っている
と考えています。
どうでしょう?私達は神の子なのです。幾多の過ちや失敗を繰り返し、挫折の辛酸を舐めていますが、こう言った経験を積み重ね、私達は大人の神に近づいていくのだと思います。
カギは進化に在ります。教えを守って徳を積み、罪の減少を図っていくのは、何の為か?
気が遠くなるような時間の果てに、私達が神へと合流する為ではないでしょうか?
私達が神と等しくならねば、神と合流する事が出来ないと思います。
皆さんも進化の道を歩んでみませんか?
進化の道は楽しいよ!
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