仮説・論説 542 罪の大きさ
- white-eagle1958
- 5月2日
- 読了時間: 2分
2025.05.02
私達は、時折罪を犯します。様々な理由で・・・
ですが、その罪がどのくらい大きさなのかは、あまり意識していないみたいです。
自然の法則が皆さんに知られるようになって、悪因悪果の作用を経験し、罰が思っていたよりも大きい事に気が付いた人も多いと思います。
そこで疑問を抱いたでしょう。
何故、罰が膨れ上がって返って来るのか?と。
罪と罰はイコールではないのか?と。
答えは、罰は罪の影響をも含むからの様です。
一例を挙げましょう。
ここに、家族5人の一家が有るとします。(父親、母親、子供3人)
有る人間が、その父親を殺害したとします。
此の犯人の犯した罪は如何ほどか?皆さんも考えてみて下さい。
単純な回答は、遺族4人に苦しみ、悲しみを与えた。と言う事に成ると思います。
ですが、その苦しみ、悲しみはいつ癒されるのでしょう?
家族を殺された苦しみ、悲しみはそう簡単には癒されませんよね?
現にそれを忘れない家族も多いと思います。その年数分が加算されるのです。
更にその父親が家計を支えていたら、その家族はどうなるでしょう?
普通、経済的困窮に見舞われますよね?その分も加算されます。
このケースでは、その総計分が犯人の犯した罪となります。
罪が膨れ上がっているのが、お判りでしょう。
現実には更に厳しい事に成ります。
どう言う事かって?
人は一人では生まれて来ないからです。
父親には、両親が必ずいるはずです。祖父、祖母も健在かも知れません。兄妹もいるかもしれませんねぇ。会社勤めをしていたら、同僚、上司、部下が居ますよねぇ・・・学生時代の友人も・・・
その総てに苦しみ、悲しみを与えてしまうのです。
つまり犯人の罪は、人一人を殺しただけでは済まないと言う事なのです。何倍にも、下手すると、何十倍にも膨れ上がるのです。
此の犯人の罪は如何ほどになるのか?
罪と罰はイコールですから、犯人の人生がおかしくなるのも郁子なるかな、です。
犯人が幸せに成れますでしょうか?
大概殺人者は、このために笑えなくなります。幸せを感じる事も出来なくなります。
その為、どの様な宗教でも一番に守らなければならないのは
・汝、殺すなかれ
なのです・・・人を殺して幸せには成れないからです。
どうでしょう?
人は余りにも簡単に人を殺しすぎていると思いませんか?その罪の大きさを知らずに・・・
この世から殺人を一件でも減らしたい、私はそう思うのです。
殺人を無くそう!
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