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仮説・論説 498 彼岸に到る道

  • white-eagle1958
  • 3月15日
  • 読了時間: 2分

2025.03.15


もう直ぐお彼岸ですね~っ!俗にお彼岸とは、春分と秋分の前後3日間の事を言い、中日(春分の日と秋分の日)には先祖に感謝する日と言われています。

ですが本来彼岸とは、人間が抱えている煩悩や渇愛を超えて涅槃に辿り着いた境地の事なのだろうと思います。

するとどうなるのか?

現在私には、皆さんが川の向こう岸に居るような気がするのです。と同時に驚くべき不思議な現象が起き始めました。私はそれを秘儀ダルマさんと呼んでいますが・・・

何と私に悪意を抱く存在が、私に手も足も出なくなったのです。

まるで川の向こう岸に居る存在が、こちら側には手も足も出なくなるような・・・

何とも不思議な気分を味わっています。

そして彼岸に到ると言う意味が判るようになりました。彼岸に到るとは、他人が川の向こう岸に居る様に思える事なのだと・・・

此の事は嘗ての聖人が辿り着いた境地なのでしょう。現代人はそれが判らなくなってしまったのでしょうね・・・

一言で言って彼岸に到る道は、罪の減少にあると思われます。

その為に必要なのが六波羅蜜なのでしょう。

六波羅蜜とは、涅槃に至るための修行と考えるべきです。

それが、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧なのだと思います。

彼岸には誰でも達する事が出来ると考えています。恐らく宗教の別なくです。

つまり、罪の減少を進めて行けば、仏教徒のみならず、キリスト教徒であれ、イスラム教徒であれ、ユダヤ教徒であれ、彼岸に達する事が出来ると思います。

今私はこう思っています。

こちら側の奥には一体何があるのだろうと・・・

わたしはこれからその奥地を探検するつもりです。そして体験した事はすべて皆さんにお知らせします。乞うご期待!

私は皆さんの道しるべになる!




 
 
 

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