仮説・論説 58 安楽死・尊厳死について
- white-eagle1958
- 2021年5月11日
- 読了時間: 2分
2021.05.06
以前、仮説・論説 ㉒ で死について述べましたが、それに関連して今回は安楽死や尊厳死について考えてみたいと思います。
まず最初にお断りしておきますが、私の死についての考え方は一般の人とは違っているかもしれません。
死んだらお終いとは、考えていないからです。転生輪廻、所謂生まれ変わりを私は確信しています。そう考えないと人々の個性の違いや才能、能力の違いを説明できません。
ですから、以下の文章はそういう考え方の基に書いたものとご了承ください。
安易に死を求めるのは反対です。単に生きるのが辛いから、苦しいからと言って死に逃げ込むのは卑怯者のする事です。艱難辛苦、汝を玉にす と言う言葉が在ります。辛い事、苦しい事はただそれだけではなく、自分の魂を輝かせるものだよ と言う事だと思います。勿論、当事者にはそんな余裕はなく、苦しみの毎日を送っているものですが、それでも耐え忍んでいると自分の能力がレベルアップしている事に気付くと思います。
宗教で自殺を禁じているのも同じ理由でしょう。
ですが、現実には生命維持装置を付けて只生かされている人達がいます。何もできず、生きる意味を見失った人達がいます。家族の経済的負担も大きく、その事を気に掛ける人達も少なくありません。尊厳死はその意味で議論すべきでしょう。私個人の意見としては有りだと考えています。自然に生き自然に死ぬ。生命維持装置を付けてまで、生きたいとは思いませんので。ただ、この判断を医者に委ねるのはどうかと思います。やはり、政治家がきちんと判断し、法を整備すべきでしょう。何度か医者が殺人幇助に問われた事件が在りました。
同じ事が繰り返されるのは政治の怠慢だと思います。この様な判断が難しい事から逃げないで頂きたい。早く国民的議論を開始して欲しいと思います。
柏子見申し候
コメント