仮説・論説 116 悪を行う事の意味
- white-eagle1958
- 2022年1月22日
- 読了時間: 3分
私達がこの世で生きて行くと、時に悪と出会います。それは自らであったり、他人からもたらされるものであったりします。怒りや憎しみに駆られて、或いは欲望に突き動かされて・・・中には悪を行う事が楽しいと言う人までいますね。
その悪とは一体何でしょう?それを行った時、人はどうなるのでしょう?
それを考えてみたいと思います。
一般的に、人間世界では悪とは宗教的戒めに背く事であり、また人が作った法律に違反する事でありましょう。違反すれば裁判をかけられ、何らかの罰を与えられることになりますよね。
神がお創りになったこの世界でも同じです。この世界は神が定めた法則に基づいて、全てが運営されています。神が定めた法則とは、自然の法則を始め、様々な定理、真理の事であり、此れは人間の力では変えられないものです。
従って、此れに違反すれば、必然的に罰が生じます。100%確実です。
では、悪を行うとその人間には何が生じるのかを見て行きましょう。皆さんも悪を行った事はあるでしょうから、経験的にご存知でしょう。
悪因悪果の作用を受け、何らかの苦痛を体験する事になるのです。
この場合罪と罰はイコールですから、罪が大きいと大変な事になります。
更に、運命は善因善果、悪因悪果の積み重ねでありますから、罪を重ねると自分の運命をドンドン悪いものにしてしまうのです。
そればかりではありません。自分の才能、能力をもレベルダウンさせてしまうものなのです。これを端的に示す言葉が在ります。
・昔神童、今秀才、二十歳過ぎたら只の人
何故こうなるのか?
神童、秀才の時にその能力を悪用するからなのですね。ですから、自分の才能、能力をもっと伸ばしたいのなら、決して悪用、不正をしてはなりません。
つまり悪を行う事とは、自分の運命を不幸なものにするばかりではなく、自分の才能や能力をレベルダウンさせるものであり、ひいては自分の環境をも悪化させる怖ろしいものなのです。教えや戒めを守り続けるのは、容易な事ではありません。時には怒りや憎しみ、或いは欲望に負けそうになる事もあるでしょう。ですが、そこが運命の分かれ道なのです。
負けてしまうと運命を悪化させます。従ってこの様な場面に遭遇したら、ひたすら堪えて下さい。辛いでしょうが忍の一字です。それは誰の為なのか?自分自身の為にです。
何度も言いますが、私達は神の子です。肌の色や髪、瞳の色が違えど、皆同じ神の子なのです。身分が違えど、境遇が違えど、同じ神の子なのです。
ただ、まだ悪を克服出来ていない、未熟で幼稚な段階なのです。
人生は真に神の子に成る為にあります。様々な場面において悪を克服していかなければなりません。
人類は漸く、真の神の子の入り口にたどり着いたと言えるでしょう。人類の発展はこれからです。皆さんの健闘を祈ります。キーワードは「教えを守って徳を積め」です。
人類万歳!
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